石塚養蜂園 代表 石塚武夫さん(43) 【プロフィール】1971年6月生まれ。千葉県出身。大学で園芸を学び、その後丸森町耕野地区で石塚養蜂園を創業。耕野地区のまちづくりに深く関わる。 丸森町耕野地区復興支援員 小笠原有美香さん(31) 【プロフィール】 1983年9月生まれ。千葉県出身。大学で国際地域開発を学ぶ。卒業後、関東で自然食品を扱う店に勤務。2013年9月より、丸森町耕野地区に移住し、復興支援員となる。
地域の方々と共につくりあげる まちづくり活動 やってもらいたいことから、 やってみたいことへ まちづくりイベントなどを幅広く行う ― どのような活動をなさっているのでしょうか。 小笠原さん「耕野地区での復興支援員の主な取り組みは、若者の居場所づくり、耕野みまもりお便り隊 ※、休耕地活用を目的とした大豆づくりの3つです。特に力を入れたいのは、居場所づくり。若い人が集まれる場づくりをしていきたいと思っています。他には、まちづくりセンターでの公民館業務や、会議の連絡調整、イベントのサポート、毎月発行している広報紙の取材など、活動は多岐に渡ります。」 ※耕野みまもりお便り隊 耕野地区で一人暮らしをしている高齢者の近況を、離れて暮らす家族へ手紙で伝える取組。 地域との出会いは10年前の養蚕実習 悩んだ末の決断 ―小笠原さんが復興支援員になったきっかけを教えてください。 小笠原さん「石塚さんに声をかけていただいたのがきっかけです。それまでは関東で働いていました。実は耕野地区に初めて来たのは、今から約10年前。2004年の大学の養蚕実習の時です。今考えると、地域の方にすごく良くしていただき、充実した実習でした。 大学卒業後は、一緒に実習を受けた仲間と連絡は取っていたものの、石塚さんはじめ、耕野の方々と接する機会はありませんでした。そのような中で、東日本大震災が起きたんです。耕野地区の様子は、購読していた情報誌に掲載されていた、石塚さんの寄稿記事で知りました。そんな矢先、実習仲間から耕野地区で復興支援員を探しているという連絡を受け、数年ぶりに石塚さんとお話しました。」 石塚さん「風の便りで、小笠原さんが勤めていた会社を退職したと聞き、声をかけようと思いました。養蚕実習の際は、好きでやってくれているのがよく分かりました。地域の人と触れ合う様子を見たり、一緒に食事したりする中で、田舎に入ってもうまくやっていける人なのだろうなと思いました。」 小笠原さん「石塚さんからお話を頂いた時にはすでに次の仕事に就いており、一度お断りしましたが、その後10年ぶりに耕野に訪れる機会がありました。その時、実習の時と変わらない自然に感動し、同時にこの自然が放射能汚染を受けていると思うと、やりきれない気持ちになりました。そこからまた一ヶ月悩みましたが、私に何かできることがあるはずだからがんばってみよう、と思い決断しました。」 連絡調整力、ネットワーク力は 地域の若者の呼び込みにとって非常に大きな助け ―復興支援員が入り、どのようなことが地域にもたらされたでしょうか。 石塚さん「小笠原さんが入って、若い人たちが集まる回数が増えたという印象があります。毎回メンバーは限られてしまいますが、ただ集まるだけではなく、真剣に話し合う機会が増えました。また、連絡調整や参加者への声がけも担ってくれるのが非常に助かっています。小規模の10~15人のイベントでは、彼女のネットワークで、多くの参加者が集まります。彼女の独自のネットワークは、本当に素晴らしいと思います。今後もぜひ人脈を深めていってほしいです。」 活動を振り返り、今後はやりたいことの実現へ議論を重ねる ― 乗り越えてきたこと、これからの課題はありますか 小笠原さん「始めは仕事をどのように進めればいいのか迷いました。事業計画なんて立てたことがなかったので、どのようなスパンで何をどのように計画に落とし込んでいけば良いのか、全く分かりませんでした。石塚さんには、夜遅くまで相談に乗っていただくこともあり、随分助けていただいています。」 石塚さん「地域の側としても、やってほしいことはたくさんあるので、仕事をお願いするのは簡単です。しかし、頼まれた側も大変だと思うので、相談して吟味しながらやってきました。これからは、地域側の考えだけではなく、小笠原さん自身がやりたいことが出てくると思うので、地域の側が実現にむけてサポートに回ることが大切だと思います。月1回行っている“定例会”で、業務の調整や方向性のすり合わせをしていくのが良いだろうと思っています。」 小笠原さん「定例会というのは、一ヶ月の活動報告と今後の計画を議論する場です。私が復興支援員として、1ヶ月間何をしてきたかを整理し、地域の方にきちんと話して知ってもらうのは、大事なことだと思っています。」 “人を呼ぶ役割”を担い、やりたいことの実現を ― 支援員への期待・要望はありますか 石塚さん「小笠原さんには、独自のネットワークで耕野地区に人を呼び、彼女がやりたいことを耕野で実現していってほしいです。私自身、Iターンで地域に入ったので、学生時代の仲間などを、外部からこの地域に連れてきていました。地域の決まったメンバーの交流会に外部の人が加わると、いつもとは全く違った新鮮で前向きな雰囲気になります。そのような意味で、外部から人を呼び込むことは、耕野地区にとって非常に大切なことだと思っています。」 小さなイベントが、いつでも開催されている空気感を耕野地区に作りたい ― これからの目標を教えてください 小笠原さん「最終的には、自分と同世代の人々が地域づくりに参加し、人とのつながりを作れるようになることが目標です。その拠点として、コミュニティスペースを作りたいと思っています。過疎が進むこの地域では、人々がつながり、助け合って生活することが必要不可欠だと強く感じます。自分の世代だけでも、まずはつながりを作り出したいと思っていますが、堅い雰囲気だと、なかなか興味を持ってもらえません。そこでコミュニティスペースを拠点に、小規模で、魅力的なイベントをたくさんやっていきたいです。ゆくゆくは、地域の人たちと一緒に耕野地区の地に必要なものを考えていきたいです。これによって、大学時代に耕野地区の人たちに親切してもらったことへの恩返しができればいいなと思っています。」 以上 2014年12月取材