応援隊・支援員インタビュー「土と風‐地域を耕す人びと-2014-」  Vol.9石巻市牡鹿地区

石巻市牡鹿地区大原浜区長・石森彦一さん(66)
〔プロフィール〕1948年7月生まれ、石巻市牡鹿地区大原浜出身。震災直後、大原浜区長となり、行政と住民のパイプ役を担ってきた。ボランティア受け入れにも尽力し、地域とのつながりを構築している。

石巻市牡鹿地区復興応援隊・関原雅人さん(24)
〔プロフィール〕1990年12月生まれ、新潟県妙高市出身。2014年4月からNPO法人キャンパーに所属し、石巻市牡鹿地区復興応援隊として活動している。

地域の中に入り込み
人と人のはしご役に

人と地域の魅力をPR

─牡鹿地区と、お二人の活動について紹介してください。

関原さん「宮城県石巻市の東部、牡鹿半島に位置し、市中心部からは車で1時間ほどの場所にあります。急峻な山地とリアス式の海岸線が特長で、主な産業は漁業と観光。半島の突端に近い鮎川浜からは、奥州三霊場に数えられる離島・金華山への航路が出ています。東日本大震災では、半島に点在する多くの浜が津波の被害を受けました」

関原さん「牡鹿地区復興応援隊は私を含め6人が活動しており、鮎川港まちづくり協議会の事務局支援や牡鹿半島の魅力をPRするイベント運営などに携わっています。鮎川港まちづくり協議会では、今後予定されている商業施設開設に向けた法人の立ち上げ支援が仕事です」

石森さん「私は牡鹿半島にある大原浜地区で区長をしています。大原浜には震災前、70世帯が住んでいましたが、津波で被災した多くの世帯が石巻市中心部などへ転出してしまいました。現在は19世帯が残っているほか、16世帯が仮設住宅で暮らしています。私は震災後、大原浜生活センターを拠点にボランティアを受け入れ、住民や漁業者の生活と仕事の再建を支援してきました」

関原さん「大原浜生活センターでは中学生を対象に学習支援活動が行われています。私はボランティアとしてセンターでの活動に携わっていて、石森さんにもお世話になっています」

石森さん「牡鹿半島の少子化は震災によって一気に加速しました。震災後、廃校または休校となる学校も出ています。さらに大原浜やその周辺には、長く学校以外の勉強の場はありませんでした。塾に通おうとすると、石巻市中心部まで親が送り迎えしてやらなければいけないんです。このままでは地域や子どもたちのために良くないと考えた有志が、大原浜生活センターに無償の『学びの場』を作ったんです」

関原さん「学びの場には現在、牡鹿半島に住む中学生数名が通っています。昨年6月の開校以降、保護者のみなさんと少しずつ関係性を築いてこれました。牡鹿半島とひと口に言っても、浜が点在しており多くの地域に分かれています。住民のみなさんとつながり、半島の現状を知ることは、応援隊の仕事にも生きてきます。持続可能な学習環境を作ることは、地域の主産業である漁業の担い手づくりにもつながると考えており、漁業の情報発信と連動させて活動していきたいと思っています」

「現場で働きたい」再び石巻へ

─関原さんはなぜ応援隊に就いたのですか。

関原さん「震災当時は首都圏の大学に通っていました。その際、石巻市にボランティアに来たのが最初です。水産加工会社など地元の企業の被害の大きさを知り、経済の復興や街づくりの役に立ちたいと考えるようになりました。首都圏に戻って就職活動もしたのですが、現場で仕事をしたいという気持ちが勝りました」

─活動を始めてどんなことを感じましたか。

関原さん「牡鹿は人と自然の魅力にあふれた場所です。海も山もあり、都会ではスーパーで買う食材が、身近にあります。浜のみなさんは初めこそ距離感がありますが、何度か話すうちに親しくなり、そのうち大歓迎で自宅に招いてくれるようになりました。都会ではあまり感じることの出来ない、人の温かさや親密さを感じます」

─地域の課題を教えてください。

石森さん「今年、大原浜では造成工事が完了することになっています。仮設住宅からどのぐらいの世帯が入るか、まだ分かりません。大原浜はカキやワカメの加工場が再開され、そこで働く住民も少なくありませんが、震災後に仕事に就いていない人もいます。大原浜地区としては、被災した神社の再建を目指しています。神社はコミュニティーの核。お祭りが、域外に出てしまった人たちがここに戻ってくる一番の機会になるんです。地元の被災者だけでは修理費用を工面できないので苦慮していますが、各方面から支援を受けていますので何とかして再建したいと思っています」

「応援隊の活動、地元にPRを」

─応援隊へのご意見やご要望をお聞かせください。

石森さん「外からの視点を生かしてこの地区を見てほしい。そして牡鹿半島の一部の地域だけでなく、全体に関わる仕事をしてほしいと思います。地元の住民さえ、応援隊の存在を知らないこともある。どんな人が関わり、何をしているのか。市の広報などで知らせたらどうでしょうか。応援隊はさまざまな情報を持っていると思う。地域の組織に入り込んで、その情報を地域の人々に伝えてほしい」

─今後の目標を教えてください。

関原さん「私が牡鹿半島で応援隊として活動できるのは2015年度末までの予定です。活動終了後のことも念頭に入れて動かなければいけません。これからは学びの場でできたつながりやそこでの経験を応援隊の活動に生かしていきたいと考えています。

もっと多くの地区のみなさんと関わり、地域同士のつながりのはしご役になりたいですね」

以上

2015年2月取材

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