南三陸研修センター理事・阿部博之さん(56)
〔プロフィール〕1958年3月生まれ、南三陸町入谷地区出身。株式会社農工房代表、一般社団法人南三陸研修センター理事。専業農家として入谷でお米、りんごの栽培、牛の肥育などを手掛ける。震災時は入谷地区の消防団員として、被災地の炊き出しや救援活動に奔走した。
南三陸町入谷地区復興応援隊・佐藤孝範さん(29)
〔プロフィール〕1985年9月生まれ、一関市出身。東京の美大を卒業後、帰郷。震災後、気仙沼市や南三陸町でボランティアを続けた。2014年8月から南三陸町入谷地区復興応援隊として、一般社団法人南三陸研修センターのスタッフを務める。
自然と人の豊かさに
若者が集い、学ぶ里
1年で3000人以上を受け入れ
─お二人の活動について教えてください。
阿部さん 「南三陸研修センターの理事として、南三陸町入谷地区にある宿泊研修施設『南三陸まなびの里 いりやど(以下いりやど)』の運営に関わっています。いりやどは、全国から学生や企業人が集い、地域で学ぶための拠点です。2013年3月のオープン以来、3000人以上を受け入れてきました。宿泊機能や研修機能、交流スペースなどを備え、さまざまなプログラムを提供しています」
佐藤さん 「私はセンターに勤務するもう1人の応援隊と一緒に、研修プログラムの開発や広報を担当しています。プログラムには、農作業・漁業体験、被災地でのボランティア活動、視察、語り部体験などがあります。今、来年度の事業として、干し柿を使って民家の軒先をデザインするとか、林業の仕事を体験して100年後の森をデザインするとかいったプログラムを考えています。先生は阿部さんたち地域のみなさんにお願いする予定です」
阿部さん 「俺がやってもいいけど、ほかにもたくさん適任者いるから、任せるよ(笑)」
─いりやどはどのような経緯で生まれたのでしょうか。
阿部さん 「震災直後、大正大学(東京)が学生や教職員約130人を、4期2週間にわたって南三陸町に派遣してくれました。拠点となったのが、内陸側にあって津波を免れた入谷地区です。混乱と困難の中、前を向いて助け合い、復旧活動に当たる南三陸の町民、入谷の住民を見て、大学側はここでの経験が学生に大きな影響を与えると考えたようです。継続的に学生を送り込んで学ぶ場所にするため、地元有志と協力してセンターを組織し、いりやどを造りました」
佐藤さん 「入谷地区は震災前から、教育旅行やグリーンツーリズムの受け入れに熱心でした。特に農家や漁師の家での民泊が盛んで、受け入れ先は100軒を超えていました。阿部さんはその中心的な存在です。だからこそ、震災後の全国からの学生や支援者の受け入れもスムーズにいったのだと思います」
阿部さん 「若い人が地域を歩いているだけで、町の人々の刺激になるんですよ」
「震災きっかけに生き方を見つめ直した」
─佐藤さんが応援隊になったきっかけを教えてください。
佐藤さん 「震災当時、一関市の実家で家業を手伝いながらホームページ制作の仕事などをしていましたが、震災で生き方を考え直すようになりました。仕事仲間の男性が津波に飲まれて亡くなったんです。『復興に関わらなければ』と思うようになり、ボランティア活動やNGOの活動に携わるようになりました。南三陸町も活動地域だったので、阿部さんたちと縁ができて。仕事を手伝ううちに応援隊の募集が始まり、手を挙げました」
─活動を始めてどんなことを感じましたか。
佐藤さん 「被災地の多くは元々、多くの社会課題を抱えていました。若者の流出や雇用の不足、少子化・・・。震災後は、そこに復興という新たな課題が加わったという捉え方をしないとうまくいかない。課題を俯瞰してみなければいけないと思います」
阿部さん 「復興というと、防潮堤を作ったり、街のかさ上げをしたりといったイメージがあるけど、現実の問題はそれだけじゃない。人口減少や産業の空洞化といった課題は全国どこにでもあり、南三陸町は震災でたまたま早くその課題に直面したわけだからね」
佐藤さん 「それでも、南三陸にはほかの地域にない魅力、宝物がたくさんあります。なかなかうまく伝えられず、悔しく感じることもありますが」
阿部さん 「入谷地区は昔ながらの自給的な暮らしが今に残る地域です。米や野菜、水、まきなど、人間が生きるのに必要な物が見える範囲でそろう。昔ながらのお祭りがあり、人と人との結び付きが強い一方で、風通しの良さや柔軟性もあります。震災直後、被災した沿岸部に救援に向かったのですが、炊き出しをはじめとして普段の暮らしがこれほど役立つものかと驚きました。私はそれが豊かさだと思うし、これからの時代を生きていく人にも大事なことだと思っています」
佐藤さん 「私は、ここが日本の中で最も可能性のある場所だと思っているんです。『結(ゆい)』という素晴らしい文化があり、住民のみなさんは知識や哲学をお持ちです。私たちはそれを教えてもらい、実行する部隊として動かなくてはと思っています」
阿部さん 「私たち地元の人間は思いがあり、話すことはできますが、佐藤君のように写真や動画、インターネットなどを使って都会の人や若者を引き込むような表現をすることはできませんからね。ユニークなプログラムも、若者らしい発想力だと思います」
住民に学び、学生に伝える
─南三陸町の現状を教えてください。
阿部さん 「先ほども話した通り、人口減少と産業の空洞化が進みました。震災で多くの人が亡くなり、この街を離れた人も相当います。被災者が南三陸に戻りたいという思いを持っていたとしても、働く場所はあるのか。また、避難した先で新しい生活が始まり、帰れない人もいる。町の主産業である水産業でも、働き手が少ないと聞きます。街に人々が戻ってくるまでのことを考えると、相当時間が掛かるでしょう」
阿部さん 「厳しい状況ですが、じり貧を待ちたくありません。『南三陸は震災で大変だったのに、何だか元気だよね』と言われる街を作りたい。都会から見たら、私たちが持っているものが宝物に見えることもあると思うんです。それが仕事になるとか、商品になるといった捉え方ができればいい。生活の在り方を見直すことによって、人々に『ここに住みたい』と思ってもらえるような地域になればいいですね」
佐藤さん 「入谷のみなさんとコミュニケーションを深め、活動へのヒントを得たいです。そして入谷の魅力を学生たちに感じてほしい。今は、社会とのつながりが見えずに孤独な学生が多いのではないでしょうか。しかし、ここでの体験を通じ、自分も地域や社会の一員だと感じることができるようになるのではないかと思います。彼らが自己肯定感を育て、人生を拓いていくことにもつながるでしょう。いりやどを通じ、人々の思いやつながりを感じて行動できる人を増やしていきたいと思います」
(以上)
2014年12月取材