水梨コミュニティーセンター仮設住宅自治会長・齋藤則雄さん(65)
〔プロフィール〕1949年4月生まれ、気仙沼市出身。2014年4月から水梨コミュニティーセンター自治会長。
気仙沼地域支援員・糟谷真紀子さん(36)
〔プロフィール〕1978年1月生まれ、気仙沼市出身。2013年2月から気仙沼地域支援員として、仮設住宅の自治会運営支援に関わる。
仮設住民の関係づくり
顔見えるように支援
課題を共有し、解決を目指す
─どのような活動をなさっているか教えてください。
糟谷さん 「気仙沼地域支援員は現在、8名が活動しており、市内に約90カ所ある仮設住宅の自治会支援を中心に住民をサポートしています。仮設住宅を訪問してみなさんの様子を伺ったり、自治会の運営課題を共有して一緒に解決を図ったりという仕事です」
齋藤さん 「71世帯が暮らす仮設住宅の自治会長を務めています。自治会は総務部や防犯部、婦人部などを組織し、ごみ出しなどの住民同士のルールを決めたり、さまざまな支援団体とのつなぎ役を担っています」
糟谷さん 「水梨コミュニティーセンター仮設住宅(以下水梨仮設)は、わたしが担当する自治会の一つです。ここは住民のまとまりがとても良いんです。行事も盛んですよね」
齋藤さん 「春は花見、冬は忘年会といったように、季節ごとにイベントを開きます。秋の芋煮会は75人が参加してくれました。日帰りの温泉旅行とかも実施しますね。『今度はいつやるの』と、イベントを楽しみに待ってくれている人がいるんです」
糟谷さん 「会長さんはじめみなさん一生懸命で本当にうまく回っています。役員が中心となって高齢の入居者の状況を把握し、みんなで見守ったり、困りごとの相談に乗ったり。わたしたちがお手伝いすることがないぐらい(笑)」
齋藤さん 「いやいや。糟谷さんたちは月に2、3回訪ねてくれて、『何かあったらいつでも相談してください』と言ってくれるからありがたいですよ。各戸を回って住民に声を掛けてくれるしね。誰も来ないとやっぱり寂しい。訪ねてくる人がいると、普段は外に出てこない人も顔を出す。それだけでも違います。もちろん、実務面でのサポートも大きな力になっています。総会の資料づくりを手伝ってもらった時には大変助かりました。あの時から糟谷さんの株が上がったね(笑)」
住民の暮らし支援にやりがい
─支援員になったきっかけは何ですか。
糟谷さん 「震災前は介護の仕事をしていました。もともと人を助けて、喜ばれるのが好きな性格なんです。仮設のみなさんの支援だったらやってみたいと思いました。震災で家族が被災しましたし、気仙沼の復興に何かしらの形で関わりたいという気持ちもありました」
─活動を初めて、どのようなことを感じましたか。
糟谷さん 「以前は自治会の存在について、あまり考えたこともありませんでしたが、活動してその必要性をあらためて感じました。自治会がうまく機能すると、住民も穏やかに暮らせます。その意味で、自治会の支援という仕事にとてもやりがいを感じています」
糟谷さん 「多くの仮設住宅では自治会が組織されました。水梨コミュニティーセンター仮設住宅のようにきちんと機能しているところは安心なのですが、担い手がなくて解散してしまったところもあります。そういった仮設では住民に困っていることがあっても、なかなかその声を拾えません。住民持ち回りの班長制にして話し合いの場を設けるようにしていますが、うまく進まないのが現状です。自治はあくまで住民が主体。支援員がどこまで手を出してよいか、ジレンマを感じることもあります」
コミュニティーの再構築が課題
─気仙沼の現状を教えてください。
齋藤さん 「2015年から災害公営住宅への入居が始まります。集団移転先の区画整理も進み、分譲が始まるところも出てきます。市内の仮設住宅入居者が、それぞれ次の住まいに移っていく時期です」
─今後の課題は何でしょうか。支援員の役割に期待することは。
齋藤さん 「水梨コミュニティセンター仮設住宅も来年は多くの住民が退去すると思います。一方で、水梨コミュニティセンター住宅が仮設住宅の集約地となった場合、別の仮設住宅から水梨仮設に移ってくる住民もいるでしょう。そうなると仮設のコミュニティーを新たに作り直すことになります。これからが支援員の出番です。今まで以上にこまめに訪問してもらい、新しい自治会のメンバーや住民たちに経験を踏まえてアドバイスしたり、運営を補佐したりしてもらいたい」
─糟谷さんの今後の目標を聞かせてください。
糟谷さん 「今後、自治会の活動を維持するのが難しいケースがさらに増えてくるだろうと思います。そうなった時に、これまでの経験を次に伝える力になりたいと考えています。住民が困らない体制づくり、顔の見える関係性づくりに向けて、自治会や住民の活動を支援していきたいです」
(以上)
2014年12月取材